境内案内
根本中堂(本堂)
平成17年に建立され、翌年4月16日、天台座主渡邊惠進大僧正猊下・瀬戸内寂聴師らを迎え、本堂の落慶法要が行われました。延暦寺の根本中堂と同じく「薬師瑠璃光如来」を本尊としております。
「一隅を照らす」 山門
平成28年11月14日、伝教大師東国巡錫1200年(廣拯院開山1200年)の節目に、後世に残る篤信者の「一隅を照らす」ご精神により、山門が建立され、落慶式が執り行われました。
御導師に京都山科毘沙門堂門跡 門主 叡南覚範大僧正様
並びに、信州善光寺大勧進 副住職 栢木寛照大僧正様
その他関係寺院にて執り行われました。
地元・阿智村清内路三清建築 棟梁 櫻井三也氏による建築です。
伝教大師最澄ご尊像
伝教大師遺跡地復興のため、平成8年に建立されました。このご尊像は延暦寺特別許可のもと、比叡山峯道に建つ大師像と同じ鋳型が使用されています。
そのお姿から東国巡錫への強い志がうかがえます。
千体地蔵
(せんたいじぞう)
と賽の河原
(さいのかわら)
お地蔵様は私たちの願いを叶え、救いの手を差しのべてくださる仏様です。
皆様のご供養、ご祈願の為に千体地蔵としてお迎えしています。
止観精舎 禅林堂 (坐禅堂)
(しかんしょうじゃ ぜんりんどう)
坐禅止観・写経の体験道場として建立されました。
静寂な環境の中で自分自身を見つめる一時をお過ごしください。
大辯才天宇賀神将
(だいべんざいてんうがじんしょう)
辯才天と宇賀神(人頭蛇身の蛇神)は、日本で中世以降、福徳神として同一視されるようになり、財運上昇・家運隆昌などのご利益があります。
蛇紋岩
(じゃもんがん)
大辯才天宇賀神将と同じはたらきがあり、宇賀神将の使者である白蛇の宿る岩です。
真言を唱え、白蛇様の浮き上がった部分をお触りください。
廣拯院 月見堂
比叡山・天台宗 宗祖伝教大師最澄が旅人を救う為に建立した廣拯院(布施屋・無料宿泊所)の跡地です。東山道最大の難所であった「神坂峠」を越え、大変険しい道中と旅人の苦難を見かね、岐阜県側に廣済院、長野県側に廣拯院を建立し、旅人の便宜を図りました。
現在は護摩堂として、毎月二十八日に不動明王護摩祈願が行われています。
また、かつて文人たちがこの場所で仲秋の名月を賞したことから通称「月見堂」と呼ばれるようになり、園原由縁の「木賊の月」は信濃の名月として親しまれています。
「木賊刈る そのはら山の木の間より みがかれいづる秋の夜の月」
源仲正(夫木和歌抄)
如来堂 (納骨堂)
善光寺より善光寺如来が分祀され、安置されております。
また、脇侍として、名古屋の篤信者より千手観音菩薩も奉祀されております
仏足石
仏足石とはお釈迦様(ブッタ)の足跡を石に刻んだものです。この場所には断層が通っており、境内の中では特別に気の良い、気の集まる場所です。
参拝方法
- ① 靴を脱ぎ、上に乗る
- ② 大きく深呼吸を一回
- ③ 合掌の後、願いを込め自分の守り本尊のご真言を三回唱える
祈願 100円
旅のだるま大師
彫刻家 松川町・大場敏弘様より寄贈いただきました。
広拯院は旅人のお寺として開かれ、多くの旅人にお参りいただいています。旅行の道中安全祈願、そしてこの地にまた旅に来られるように、人生という旅の節目の出発地としてお参り下さい。
鐘堂
平成17年本堂落慶に合せて篤信者により建立されました。鐘に刻まれている山家学生式は大師直筆のものが使用されています。これは、伝教大師が天台宗開宗に当たり僧侶の修行規則、人材育成の指針を著し、嵯峨天皇へ提出されたものです。一般の方も撞く事ができます。心静かにお参り下さい。
滋賀県東近江市 鋳匠 黄地佐平 謹鋳
子宝地蔵
月見堂内の左脇に安置されています。
何をしても子宝に恵まれなかった方がご懐妊されています。
堂内に入り、左手の宝玉を撫でて、ご参拝下さい。